忘れるということ。大島弓子 『ダリアの帯』


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ばらばらになった写真を整理していると
突然風景が甦り、車窓を流れる雲の早さで季節が逆回転する。

どれかひとつ...、なんて選ぶ事はできないけれど。
僕はこの作品が大好きで、一年のうち幾度か、
思い立った時に書棚から手に取ります。

愛する人が日に日に記憶を失い常軌を逸してゆくさま。
『ダリアの帯』に描かれた世界は一見、非現実的ですが、
底辺に流れているものは、人の体温に限りなく近い生々しいもの。
近所を散歩している際に道がわからなくなって
3時間も4時間も彷徨う甘い感覚。(そんなに彷徨った事ないけど...)
もしくは痛みに気づかず、流れる血の色に唖然とさせられる我が身の傷口。
最愛の人と共に行き着く究極の暮らし。
お伽噺としてとらえても、際立って美しい作品です。

少女漫画に描かれる薔薇は、きりきり尖って高芯剣弁のイメージ...。
けれど、時代にとらわれることなく、
彼女の描く薔薇は簡素でありながら素晴らしく写実的です。
芍薬のように丸いカーブを伴った薔薇を余白に儚く散らす。

ひとつひとつの作品に冠された秀逸なタイトルは
数え上げるだけでも枚挙に暇がありません...。
読み手の想像をさりげなく裏切って、やんわりと煙に巻く。

『たそがれは逢魔の時間』『ばら科』『夢虫・未草』『ジギタリス』。
『青い 固い 渋い』『いたい棘いたくない棘』『野イバラ荘園』。
『つるばら つるばら』『8月に生まれる子供』『ロスト ハウス』etc...。

小説でも映画でも...、そしてもちろん音楽でも。
字の如く、レコードは擦り切れて再生できなくなるまで。
100回でも200回でも人の記憶や感情を其処へ通わせる『何か』。
気まぐれな季節に散々振り回されても、愛想をつかす気にはなれない。

写真は、一昨年、薔薇が大嫌いな恋人に或る日突然誘われた深大寺。
折しも季節は秋薔薇のシーズン。
改心したのかと(?)怪訝に思いながら何故深大寺なのかと問うと。
薔薇が咲き乱れている事を知らぬ恋人は現地に着くなり終止無言。
そして門をくぐるなり別行動。
僕はといえば秋薔薇をさほど美しいとも思えず...、
ダリアばっかり撮っていたのでした。
なんともシュールな休日。

どんな時でもそらで言えた人の名を、或る日突然忘れていることに気づく時。
許容量は無限...、と信じたいけれど哀しいかな。
忘れてしまうことの美しさ。
思い出せない真っ白さ。
はぐれてしまった双方の想いは現世を凌ぐほどの強さ...。
人と人はどうして繋がっているのか...。
いつか自分が年をとって、大事な何もかもを忘れる日が来たら?
自分は忘れなくとも、相手が忘れてしまったら...?

「喪服には、金糸銀糸を使って刺繍したダリアの帯...」。
その想像力にもぐっときます...。
ダリアを見る度、この作品を手にとりたくなります。

G d D
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by MiscellaneousOGRs | 2007-04-07 00:00 | Sweeter than Sweet
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